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遥かなる稜線、久遠のせせらぎ

猫田 寅吉

 夏になると、週末、私は山形県朝日村、タキタロウの里、大鳥の集落に入り浸りになります.そうなってからかれこれ十五年になります

 七月の末、左京淵堰堤の水のオーバーフローが真ん中から割れたときから、私の東大鳥川の白い溪の岩魚釣りのシーズンが始まります。

 その季節、濃い緑色のブナの森に囲まれた、花崗岩の白い川原、開豁な谷のエメラルド色の水の流れは、真夏の強い太陽に、いっそうくっきりとした情景になって、その魅力に私のノスタルジーは少し狂ってしまって、むかし、幼少の頃、土内川で遊んでいた自分の姿の像が、その情景に重なって、あたかもそこが私の故郷であったかのように錯覚してしまうのです。

さて朝男親父との止めど無い昔への回想の中で、ふと

 

「昔は八久和さえって、三日ぐらえ泊まって、岩魚をえっぱえ釣って、そいば焼ぎ枯らしてしょってきて、田楽どが、そうめん  のだしにしたりして食った。」

「そうめんのだしは、おれゃあ岩魚が一番うめぇと思う。」

 

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 心のふるさと、私にとって大鳥はそんなふうに呼びたい、そんなところでしょうか。

 

 真昼に澄んだ水面に自分の影が映らないように大岩に身を寄せ、鏡のような水たまりにそっと毛鉤を落とすと水底に沈む岩と岩の間から碧色の背中の魚がスーッと這い出してくるのです。

 

 夏が盛りを迎え、大鳥も、昔ほどではないけれども、登山者や釣り人などの行楽の人々が訪れ、街の移り香に、常には閑散とした山村もにわかに活気付き、なんとなく観光地の風情を漂わせるようになります。

 

そんな私の大鳥の夏、週末の休日私は、その日魚があまり釣れなかったり、不意に土砂降りの雨がやってきたときは、大鳥の酒屋の朝男親父さんと店の軒下で、缶ビールを片手に、山菜や、岩魚や、きのこの話しをしたりして過ごすようになっていました。

と朝男親父に山棲みの通を吹かれてしまいました。

 

「皿淵沢を越えてよぉ、八久和へ行って、3人してよぉ、ひとりは下って、ひとりは上って、真ん中のやつはふたりが釣ったや  つを焼く、三人は午前と午後で交代してなっ。」

「やぐわは、ほんとにいっぺえ釣れたもんだ。」

  

東大鳥川の中流部、皿淵沢から稜線を越えると、今でも釣り人の間で潜水艦岩魚伝説の、八久和川の本流の、大岩魚釣りの核心部にそんなに苦労しないで行けるらしい。

 

しかし、私などは思っただけで、皿淵沢をつめて稜線を越えてまた谷底へ下っていくなどと相当苦労すると思うのですが、人の主観的な目安というものにはその人の価値観で、両手で広げても足りないほどの隔たりがあるものだと、いつもこうした会話の場面で思ってしまうのでありますが、こういう話しの内容については、とにかく他の沢からアプローチするより楽だとい考え方が、妥当な理解のしかただと、最近思うようになったのです。

 

まあ、それはちょっと思い浮かんだことであって、はなしは、将来私も山棲みの仲間入りがしたいと、釣りはもとより、山菜取りからきのこ取りまで春夏秋冬、山に馴染むことに心がけている自分であるので、岩魚そうめんの味を知らないと来ては、山棲みの道は遠かりしと思い、是が非でも岩魚そうめんを味わうことに思案をめぐらせたのです。

 

ただひとりで食ったのでは面白くもないし、その味が深山の風味として貴重なものと不特定の人にも認められる味が出せるかどうか期するところがあったので、ときどき寄り道する自宅の近所の山菜取り友達の焼き鳥やの旦那を抱っ込んで、深山の味、幻の岩魚そうめんを復興させる運びになったのです。

 

さて、だしの材料になる岩魚ですが、困った事に気づきました。

わたしは岩魚はフライフイッシングで結構釣るのだけれど、いつのまにか最近は釣りのプロセスだけを楽しみ、獲物を交えてのアフターフィッシングにはなにも感じる欲がなくなってしまったので、岩魚を持ち帰らなくなってしまった。

 

けれども天然岩魚の味は舌先が覚えていて、真夏のでかい岩魚ほど大好きなのは事実で、人の釣った大きな岩魚は、「おれが釣ったものをたべてみろ。」といわれれば二つ返事でご馳走様という男です。

 

それなら私はにわか岩魚釣り漁師になって、だし用岩魚釣りをすればいいではないかということになるのだけれど、じつは岩魚をしばらく、毛針でだまし続け、私の心の慰み者として、遊びの玩具としてきた岩魚に、如何ばかりかの情が涌いてしまっている今の自分に、魚篭を腰につける行為は、自分の心のろ過紙を千切って屑箱に捨ててしまうような感じがしてその気にはなれないものでした。

 

いうことで 仕方なく朝男親父の養殖した8寸くらいの岩魚を五十匹ほど焼き枯らしてもらったものを買ってきて、焼き鳥屋の旦那にたれをつくってもらいました。

 

いきさつ上、私は、「なるほどこれが岩魚のだしか。」とうまいと思ってたべましたが、岩魚の味自体が好きだったからそう感じたのかもしれません。

 

すこし脂っこいたれだったので、課題としてはもっとじっくり焼き枯らすことが必要だと感じ、そうして毎年夏にはこの岩魚そうめんのたれ味を研究しつつ食べることにしたのです。しかし風味を深く追求すればやはり川の岩魚を殺さなければならなくなるのです。

 

「べつにそうめんのたれなど、かつおだしが一番うまいではないか」

 

目の色を変えてまで、私が幻の味を追求する必要はないのです。

 

幻の味は朝男親父の追想の彼方にあって、私にはその完全な味は察することができません。

  

自分の趣味が渓流魚の毛鉤釣りだということが、周りの他人に知れてしまって、渓流釣りの話題になった折々に、必ず今度岩魚を釣ってきて食わせてくれ、という具合に求められることがたびたびあります。

 

私は、一度岩魚を釣って食わせてくれとにたのむ人には、

 

「私は実は口だけで実際はあまりつれない。」

 

といい、それでもうるさい人には、そのうちといっておいて、催促されれば何日か後に養殖所から岩魚を買っていって、

 

「釣れなかったから買ってきました。」

「私は養殖屋と親しいので安く買えたから天然物よりは味が落ちますが食べてください。」

 

といって養殖モノを贈答することにしているのです。

 

また、同じ生き物を差別するわけではありませんが野生と養殖もの、野生は食べず、養殖なら食べる。人の釣ったものは食べる。

 

といったご都合主義の自分のポリシーについて、折にふと思ったりするのですが、止めど無く別の次元にジャンプしてしまいます。

 

どうしてこうした自分の釣りが面白いのか、なにがいいのか、どうしてこんなことをしているのか、どうしてこうなったのか、いまだわかりません。

 

しかし、まだまだこの釣りは楽しい、素敵です。私もまだまだ釣りをしながらの瞑想が足ないと自覚しております。

 

 

まだまだ釣りが足りないと思うのです。


 2000年秋 同人誌フリーストーンに掲載