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エッセイ
猫田 寅吉
つりつりの記
リリカルアングラーズ、結成してから10年になる。
リリカルアングラーズの活動とともにまた10年間の釣りをしてきた。
近年の、私の年間の釣りは個人的には、年が明け、2月になるととともにそれからずうっとサクラマス釣り、6月まで狂ったようにその釣りをする、8月のきのこ採り本番まで若干の源流渓流釣り、きのこ採りが始まると、渓流釣りの禁漁までずうっときのこ採り傍らの渓流釣り。きのこ採りが終わってからはきっぱりその年の釣りを止める。こんな一年の釣りの過ごし方である。
さて、そんな釣りをしながらリリカルアングラーズの活動とともにあったこの10年の出来事を振り返る。
なんとなく10年が過ぎたようだが、考えると、なんといろいろなことがあったことか。
まず、リリカル結成10年の間、印象強いことのひとつは、現リリカルの会長寒河江氏が、フライフィッシングを覚えるためにリリカルアングラーズに入会してきた女性を、ちゃっかり自分だけ、大恋愛の末、(自分で大恋愛風に語り明かした。)妻にしてしまったことだ。
現在寒河江会長の奥さんである女性は、『リバーランズスルーイット』のブラッドピットにあこがれていて、それでフライフィッシングがやってみたいと思ったのだったらしい。
そして遠藤親父の店で、フライフィッシングを覚えるのならリリカルアングラーズに入会して教えてもらうといいと勧められリリカルに入会した。
そこに、鼻の下を長くした(本人が言うには、初めは鼻の下は伸びていなかったらしいが、だんだん気づかぬうちに伸びていたということだったらしい。)寒河江会長がいたのであった。
大井沢の橋本荘にてリリカルの合宿中、私たちリリカルの面々に乗せられて、夜中の1時頃酔っ払って彼女に電話をし、彼女に叱られ絶望の縁でおそろしくしょげていた「橋本荘踊場電話事件」、つい昨日のような出来事のようにも思うが、今、寒河江会長はその奥さんとの間に三歳になる子どもがひとりいることを考えれば、「橋本荘踊場電話事件」、はもう6年も前になってしまったという事か。
寒河江会長は現在関東地域に単身赴任中である。しかし、寒河江さんを知っている方ならわかるかと思うが、どう考えても寒河江さんはブラッドピットには似ていないと思う。
リリカルの活動においてもいろんなことがあった。トラウトフォーラムとのつながりが出来たこと、そしてトラウトフォーラムに支援していただき寒河江川のC&R区間設定に関わった事。
また、山形県の内水面行政、団体との関わり。4回行われた内水面行政の事業、山形県渓流釣フォーラムを経て、山形県の渓流釣愛好者、団体の集まり山形県渓流釣協議会に参加するに至った。
さて、この山形県渓流釣協議会とはなんだということになるが、山形県渓流釣フォーラムにて、県内水面の行政、内水面の漁協連合会が欲しがっていたもののひとつとして、一般の釣り人の声、要望を集約し代表とするものの存在であったのだろう。
将来の漁協経営について、遊魚者からの収益を今後重要視していこうとする構想の中で、県内の釣り人の代表機関なるものの存在を確定し、行政と団体が意見を聞き、事業をするための参考になることを得るための釣り人の代表機関なるものが必要だったのだろうといまさら思い巡らすのだった。
そう考えると、私たち山形県渓流協議会参加釣り人は行政にうまく乗せられた、うまく使い物になっているという風になるのではないか。
当時の内水面行政のこうした事業の担当者は、私たち、釣り方も違う渓流釣り人を集め、山形県渓流釣フォーラムという事業を介して集結させ、組織の立ち上げをうながした、そうして一般釣り人の声の集約機関を確定した点について、仕事をする人として鮮やかであった、のではなかっただろうか。うまくやられたと、これもいまさら私は思うのであった。
乗せられた、はめられたなどという言い方は適当でないにしてもとにかく、釣り人が釣り場についての希望を話せる場が、行政と川を管理する漁協の間にできたことについては、大変な進展であるし、釣り人の大きな収穫であった、この点については当時の行政担当者に厚く感謝の気持ちが湧くものである。
さて、山形県渓流釣協議会の代表は、山形市の源流釣クラブ、山岳溪釣会の斎藤金也さんである。
人柄、人脈、行動力、考え方、についてはこの人を長にしてついて行くのが適当と思うし、現在渓流協参加17団体の釣り人の声を集約するには当人をもって他にいないとわたしは常々感じている。
こうして山形県渓流協議会以下、渓流協が発足して、行政や、河川関係団体などと正式に話せる場面を得たのは確かだが同時に今まで釣り人して貯めに貯めていた鬱憤めいたものも同時に先方へ怒涛のごとく吐き出していったのも言うまでもないことであった。
寒河江川大井沢のC&R区間が設定され、設定にあたり少なからずリリカルアングラーズとしても関わったことがあったが、今はほとんど関わりを断っている。
このことについて、最近、山形のとある釣り人から、なぜ途中で放り投げるような事をしているのだという風な言われ方をしたが、いちいち自分たちの活動の言い訳じみたことを言いたくもなく、いきさつを話しても分るような人間とは思えなかったので、そういった問いについては「いろいろあってね。」としか言わない事にしている。
渓流協の会長、斎藤金也氏は、渓流協代表となって、一般釣り人として行政と内水面漁協などの団体の機関である漁場管理委員のメンバーにも入れられる事となった。
その中で、当時の窓口行政からC&R区間で問題が多発するのであれば別にC&R区間の設定を撤回してもいいのだと言われたらしい。しかし、そこで会長が啖呵をきっていいですよといって、設定されたC&R区間が撤回されたらそれこそ地域にも迷惑をかける事となる。
自分たちの考え方をあまり前に出すのも考えものではないかと萎縮したものの考え方になっていったのも事実であった。
そうした事で、その地域にもあまりうるさくああしたほうがいいとかこうした方いいとかいうのは、かえって反感をもたれてしまうような気もするし、そのC&Rの地域が、何処までそのC&Rの体制を考えているのか、その辺の隔たりをもっと早くに気づきそれに合わせた協調の中で活動を続けていればよかったような気もするが、とはいえ、C&Rを運営しているのはその地域の川の管理者だ。管理する側の経済メリット、管理者側の都合、そうした事がいろいろあろう。
もともと釣り人ではない地域の人たち、その地域の人たちにとって大事、優先するのは自分たちの生活にC&Rの川はどれだけのメリットをもたらしてくれるのかという事なのだ。
そのために、これでいいですよという釣り人がいたなら、地域の人たちはもうそれだけでいいのであった。
つまりはそういうことなのだった。
仕方がなかろうとも思う。
釣り人によってもフィールドに対する感じ方、考え方は千差万別だ。
釣をするプロセスだけを楽しむC&R区間に、尻尾の丸く擦れた虹鱒をいつも同じと頃に大量に入れている、C&R区間の実態をみて、あまりにも釣り人を馬鹿にしていると感じる釣り人も意外と少ない。
尻尾の丸く擦れた虹鱒をいつも同じとところに大量に入れているC&R区間の実態を、「ガタガタいわねぇで、これでも釣ってろ。釣れないよりはましだろう。」このようなメッセージと私は受け取るのだ。けれどもそんな状況でもいいんですという釣り人もいるのだ、きのう、一昨日釣を始めた人ならばそれもそうだろう。それもちっとも悪くはない。
フライ釣を始めて25年以上経った。時々下手な説教地味たことを他人に言うと、「貴方たちはいいよ。いい時代、魚がいっぱい釣れた時代にフライ釣りをしていてさんざん面白い思い出を作ってきたのだから。俺たちは今、このフライ釣りが面白くってたまらないんだ、どんな魚でもいいんだよ。」
そういわれると返す言葉もない。
実際そうだった。大井沢の自然伝承館前がまだ全く護岸などされていない時代。
ぺゾン エ ミシエルのセントルイスを握り、沢田賢一郎氏に習い、会得したハイスピードハイラインテクニックで、独り今のC&R区間を遡った。その流れが大好きでずっと通っていたのだ。
当時でも養魚場からか逃げて野生化したレインボウはそこにいた。大井沢の野生化したレインボウはすごかった。ロッドを絞りもぐって逃走を試みているのかと思いきや不意に浮上、ロッドティップと正反対の方向へジャンプ。横っ飛びにすっ飛んでいった。自分の唇をちぎっていったやつがいた。後に残ったのはフライが突き刺さった鱒の上唇半分。川面に靄が水の流れとともに流れ下ってくる。陽が狭間の稜線に上り物の影が谷間に現れる。そんな時間、川に覆い被さる柳の枝の下で岩魚のライズが始まる。ウェーディングして下から近づいてはいては魚を追いやる。ライズはパッタリ止み、魚が上流に走る。魚がきっとそこらじゅうにいるのだ。だめだ。自分の持っているキャスティング技術を駆使して流心をはさんで対岸から木下の岩魚を釣る釣り。ビール瓶サイズの丸々太った岩魚とファイトする釣り。そんな時代の釣りがわたしはずっと忘れられなかった。
川は釣り人だけのものじゃない。
川は釣り人だけに都合がよくあっていいのだろうか。
私は小さな頃、夏の川でカジカをヤスで突くのが何よりも好きだった。
夏休みの最高の楽しみは、最上地方、母親の実家近くのある川で、いとこと2人、ヤスとガラス箱を持たせてもらって川に入り浸りになっていた。
いつしか岩魚もヤスでつけるようになっていた。
そんな夏の川遊びが、私に強烈な郷愁を植え付けることになったのではないかと今になって思うのである。
生涯、故郷の川で釣りをして行きたいという自分の想いはそのことが元になっているのではないか。
突いたカジカを竹串に刺して、煬って食べた私の郷愁の味。
夕方、いつのまにか日は傾き夕陽が川面を赤銅色に変えるころ、ガラス箱で淵の中をのぞくと、そこにはいつのまにか水中の物陰から這い出した美しく素早い山女魚が泳ぐ光景があった。
川は、その地域の世代を受け継ぐ子供たちに、郷愁を植え付ける場所でもあろう。
獲って、食べて、その魚の価値を確認し、その魚の大切さを体で知ることが地域を大切にする世代を育むことになるのではないだろうかとわたしは思うのである。
そうしたことから、最近C&R区間設定についてちょっと引っ掛かる事は、あまり長い区間のC&R設定にはちょっと問題が多いんじゃないかと感じるのである。
こどもたちでもそこでの魚釣りはC&Rをやって、その地域の鱒の釣りはC&Rなんだ。子供のころから渓流魚はC&Rの釣りをやってきたという世代が出てきてもいいんじぁないか。といった考え方を持つ大人も出てきている。
しかし、はたしてそうだろうか。釣り人が釣り人の都合のいいように、川の管理者が釣り人を利用する事を最優先にしての釣り場の設定は、他方面に対しての配慮がなされていないのではないかとおもうのである。
C&Rに限った事ではいが、釣り人が求める釣りのレギュレーションを川に施行した場合、はたして犠牲になっているものもずいぶんあるんじゃないかと思えてならない。
今、私にも、この年でまだ幼稚園児の息子がいるが、私はヤツが小学校になったら、絶対にフライ釣りのスパルタ教育をやろうと思っている。
先ずはエサ釣りからだ。川虫網で川虫を取って、岩魚釣りから始めよう。
腰に魚篭とタモをさして親子で釣りをして、家に帰って釣った岩魚を食うのだ。岩魚の価値を五感から体に染み込ませるのだ。
そうして、息子が、私の山女魚のエサ釣り試検に合格したらはじめてフライキャスティングを教えるつもりだ。
このようにして息子にも、川に対する強烈な郷愁を植え付けるのだ。
息子にも、山形の美しい川、すばらしい川を強く感じてもらいたい。
足元には絶えることなく流れ下る水流。
遠くを望めば連なる稜線。
稜線の向こうに碧空
稜線の向こうに広がる碧空はなんだ。
私はその空間が夢の住処ではないかと思えてならない。
素適な釣りをずっと続けられることのささやかな夢が住んでいる空間。
遥かなる稜線、久遠のせせらぎ。
平成16年11月遥かなる稜線、久遠のせせらぎ その2